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職人技:日本の料理人が一生を懸けて腕を磨く理由
18 Feb 2021
その卓越した食文化に捧げる日本のひたむきな心に私が初めて触れたのは、東京の脇道に隠れた小さなうなぎ屋でのことだった。創業から130年以上。上品で色あせないその内装は、まるで創業当時から何一つ変わっていないかのように見えた。
お品書きは、「うな丼」ただ一つ。美しい漆のお重に敷き詰められた白ご飯の上に重なる、とろみのある甘いタレがかかったうなぎの蒲焼き。80年を超える歳月を刻むタレの壺は、何十年にもわたり来る日も来る日も同じタレを混ぜ合わせるうちにできた、赤茶色の縞模様で色付いていた。
一見シンプルに見えるが高尚で並外れたその食体験は、一世紀を超える研究の賜物だ。店主にうな丼の感想を伝え、今までに他の料理を作ってみたいと思ったことはないのかと尋ねたところ、店主は一体何を言っているんだという表情で私にこう答えた。「どうしてですか。毎日働いていたら、うな丼が昨日よりもちょっとだけ美味しくでき上がるかも知れないじゃないですか。」考えもしなかった驚きの答え、そして一皿に注ぐひたむきな心と揺るぎない情熱は、その多くがたった一つの料理に生涯を費やすという日本の料理人たちによく見られるものだ。
もう一人の巨匠は、ザ・リッツ・カールトン京都から。ミシュラン1つ星を獲得し、洗練されながらもゆったりとくつろげる雰囲気に包まれた「天麩羅 水暉(てんぷら みずき)」の小島太典料理長だ。立派な御影石のカウンターには全8席が並び、割烹形式で味わう天麩羅の逸品は、きっとこの先ずっと忘れられない味になる。小島料理長がゲストの目の前で天ぷらを揚げ、自身が学び経験してきたことの集大成を披露してくれる。
小島料理長は、京都祇園「天ぷら八坂圓堂」で天麩羅の料理人として修行を開始。2016年からはザ・リッツ・カールトン京都の「天麩羅 水暉」で腕を磨き、2019年には銀座の「てんぷら近藤」で経験を積んだ後、2020年初旬に「天麩羅 水暉」料理長に就任した。一人前になるまでの道のりは長い、と小島料理長は言う。「天麩羅のカウンターに立つことができるようになるまで、一般的に少なくとも10年は掛かります。毎日朝も晩も師匠に自分の天麩羅を試していただいては、アドバイスをお願いしていました。」
タレを使わず、最高級の旬の食材本来の味を生かしその質を損なわないよう、どんな時も完璧に調理しなければならない天麩羅は、特に技術を要する料理だ。「天麩羅は、タレで味付けをしたり、タレと一緒に調理できるものではないので、食材そのものの質が一番重要になります。だからこそ、食材の味を最大限生かそうと努めています。」
天麩羅作りでは「衣」が確実に肝となるがゆえ、「天麩羅 水暉」はこれ以上ないほどのこだわりを見せてくれる。「まず薄力粉をマイナス60℃まで冷やし、きめ細かくします。次に冷やした薄力粉をふるいにかけ、卵黄と氷水を加え約3℃で混ぜ合わせます。」衣の準備ができたら、天麩羅を専用のステンレス鍋で揚げていく。「調理時間と必要な技術は、食材によってまったく異なります。素材が変われば、必要に応じてその都度お水や卵を加え、衣生地を調整します。」
エビ、ウニ、胡麻豆腐、くわい、蜜芋、蓮根、聖護院かぶ、九条ねぎ、平井牛、フグ、カワハギ、伝助穴子、金目鯛などがその日のメニューに加われば、それなりの手間を要することになる。
さらに驚くべきは、使用する油によっても天麩羅の食感が変わり、地域による天麩羅の違いを演出していると言うのだ。例えば、京都やその周辺地域の天麩羅は、東京のものと異なる。「関東地方では胡麻油が使われますが、京都の天麩羅は薄く軽い仕上げの衣で、素材の味をより引き立たせています。『天麩羅 水暉』では、天然の紅花油で揚げることで天麩羅に独特の軽い風味を持たせ、サクッとしたあの食感を実現しています。」
こうしたこだわりから生まれるのが、一回一回完璧に揚げ、最高級の食材が纏う信じられないほど薄い衣にサクッとした食感を与え、美しいほどに口当たりの軽い天麩羅だ。小島料理長は謙虚にも、お客様が美味しいと言ってくれる時が幸せだと語る。「ですが、自分が何かを成し遂げたとはまだ感じていません。」興味深いことに、小島料理長は天麩羅が他の日本の伝統料理と同じように評価されていないと感じているそうだ。
「日本で天麩羅専門店はそれでも多くなく、日本の食文化の中で天麩羅の評価はまだまだ低い方です。天麩羅屋も、寿司屋や蕎麦屋と同じくらい有名になってくれたら嬉しいです。」
しかし、小島料理長の技術により生み出される逸品、そして彼が天麩羅に注ぐ献身と変わらぬ情熱を見れば、小島料理長や彼の下にいる職人たちによる天麩羅が、その芸術性にふさわしい高い評価を得る日はもうすぐそこに来ているだろうと思える。そして、もしかしたら「天麩羅 水暉」もいつか創業から130年を迎えて、日本の食文化の象徴となる場所がまた一つ増える日が来るかもしれない。